ちょっと長いですし暗い内容ですが読んでいただけたら嬉しいです。
まぁmixi日記の転載になりますが伝えたいことがあるので。
人間っていつが最後の対面になるのか分からないよなぁって話。
俺が3歳の時に両親が離婚してそれから母親と一緒に生活してきた。
もうすでに父親の名前、顔、声その他もろもろ思い出せなくなっている。
今は元気でやってるのだろうか。そんなことを考える。
俺のこと少しでも思い出すときはあるのだろうか。
それとも新しい家族との幸せな日々で俺のことなんて
忘れているんだろうか。


その後小学2年の時から別の男の人と生活することになった。
とても優しい人でクリスマスには毎年ケンタッキーを買ってきてくれた。
そんなこんなで月日が流れ小学5年生のときにその男の人と母が再婚することになった。
再婚しても呼び方は「おじさん」のままだったけどね。
人がいいのはいいんだが義理堅く曲がったことが嫌いだったおじさんは
よく知らない人と喧嘩してたな。
そんなおじさんが会社の偉い人と喧嘩して首になったのもこの頃だった。
おじさんが次に選んだ仕事はお好み焼き屋の経営だった。
母も会社を辞めてお好み焼き屋の経営を手伝った。


子供から見たら結構繁盛してた。
安価でお好み焼きが食べれると結構人気があったと思う。
ただそれは子供だったから分からなかっただけだよな。
姉なんかは薄々経営が危ないってこと気付いてたみたいで
俺に相談してきたりなんかしたけど俺はその事実を認めたくなくて
取り合わなかったなぁ。
そんな頃かな。ちょうど難しい年頃だった俺はおじさんのこと新しい父親と認めたくなくて
おじさんが「ただいま」って言っても二階の部屋で寝た振りしたりしてた。
今思うと「おかえり」って言ってあげたら少しは気持ちにゆとりが出たんじゃないかな。


中学2年の時に久しぶりにまとまった休みができて
自分と姉と母とおばあさんの4人で伊勢に旅行に行くことになった。
出かけるときにおじさんが家の前まででてきて「いってらっしゃい」と手を振ったけど
無視をした。
旅行から帰ってきたらおじさんはまだ趣味の釣りから帰ってきてなかったみたいだった。
でもあまりに帰りが遅いから心配で朝まで寝れなかったなぁ。
結局朝になっても帰ってこないから母がいろんな旅館に電話したり警察に届け出たりして
足取りがつかめた。
警察が岐阜県にいるのを見つけて、そこを警察に引きとめてもらって会いに行ったんだけど
「お前らに俺を止める権利があるのか?」って言われて警察はおじさんを放してしまった。
あと少しで会えたのに・・・。なんで俺らから逃げるんだろ。なんで警察はもっとちゃんと
引きとめてくれなかったんだろうといろいろと思い悩んだ。
次の日だったおじさんが自殺したのは。
お好み焼き屋の経営に行き詰ってのことだったらしい。遺書なんかはなかったはず。
母が警察に「なんでもっと引きとめてくれなかったんですか。死ぬのが分かってたのに」と
泣きながら話してたのは今でも強く覚えている。


葬式の最中は俺がしっかりしなきゃと思って全く泣かなかったけど
おじさんの葬式の後は一人で一晩中泣いたな。大声で。
なんで最後に見送ってくれたときに「いってきます」と一言言ってあげられなかったんだろう
とか。本当に死ななければいけなかったんだろうかってね。
今でも悔やみきれない。


その後月日が流れてお好み焼き屋の処分なんかを
店のお客さんであったある建築業者の社長さんに頼んで手伝ってもらった。
それから程なくして母親に腫瘍が見つかって入院することになった。
それからしばらく中学3年の俺と高校2年の姉と二人だけの生活が続いた。
母が無事に退院してから例の社長さんがうちによく出入りするようになり
そのうち泊まり込むようになった。そして居候するようになった。
きっと母はおじさんがいなくなって寂しかったんだろうけど
おじさんがいなくなってそんなに経っていないのに新しい男ができたことに
俺一人だけ怒ってた。毎日にらみ続けた。
居候がどんだけ優しく接してこようと冷たい目で見続けた。
そんなある日その居候がお正月にハワイに行こうと提案した。
社長だからお金の心配はなかったけど、一緒に旅行行くことにとても抵抗があった。


とうとうハワイに行く日が来て日本を出発した。
初日の夜、居候が一緒に写真を撮ろうとしたけど拒否した。
そのあとホテルのプールサイドで母と二人きりになったときに
母が「今こうしていられるのもいろいろ手伝ってくれた○○さんのお陰なんだから
あんたも感謝しなくちゃいけないんだよ!あんたの姉もコンビニでプリン買ってきたりして
一応感謝してるんだからね!」なんて話をされて
今まで辛く当たってた俺は深く後悔した。明日からは優しく接しようと思いながら
ホテルの部屋に戻って母と居候とは別の部屋で俺と姉が寝ることになったんだけど
その数時間あとに母から電話があって
その居候が酔っ払って転んで頭を打って救急車で運ばれたことを聞いた。
植物人間状態になって病室に横になってる居候を見て居た堪れなくなった。
それから程なくしてだった、その社長が息を引き取ったのは。
俺はおじさんのときに過ちを犯したのにも関わらずまた同じ過ちを繰り返したのかと
思い酷く後悔した。


こんな経験を通して
人間はいついなくなるかもしれないから、いつも優しく接して
挨拶もきちんと交わして、いつが最後の別れになってもいいように
しなければいけないんだなということを悟りました。
気付くのが遅かったかも知れません。
親孝行したいときには親は無しなんていいますが
そんなことにならないようにしなければいけません。
死人にはどんだけ感謝しても伝わらないのですから。
今隣にいてくれる人に感謝しなければいけないのです。
そんなことに気付かされました。
あと自殺なんてものはいけないです!俺が言うのもなんですが。
あんなに憎んでいた居候でさえいなくなった時は悲しかったものです。
ありきたりな言葉ですが生きているだけで素晴らしいってのは本当です。
稚拙な文章ですが何か伝わるものがあればと思い書きました。